わが社のブレアジャクソンについて
Instagramでは以前お伝えしました。
わが社の工務部であったブレアジャクソンが5月13日に天国に旅立ちました。
昨年の夏から体調不良で仕事を休んでおり、自宅療養をしながら通院、2月にはオーストラリアに帰って治療していました。
彼との出会いは英会話学校
2017年頃に、会社からのメッセージを英訳したいと思い立って電話をしたのがとある英会話学校
そこの先生と話をしていると「わが校の教師が造園の仕事をしたがっている」と言われました。
オーストラリア人と聞き、英語も話せないし文化も違うのでどうしよう??
何より、きつい仕事だし・・・
少し考えましたが、面白そう!!という気持ちが上回りすぐに面接、採用となりました。
仕事に来てもらってからはすぐにみんなと仲良くなりました。
人懐っこくて、誰とでも打ち解けるのは彼の性格でしょう。
ただ、問題もありました。
勤務時間を過ぎるとすぐに帰宅します。
当たり前かもしれませんが、当初は現場から帰るとみんなで片づけたりミーティングしたりすることもありませんでした。
少し戸惑いましたが、彼も戸惑ったことでしょう。色々ぶつかったりすることはありましたが、彼は少しずつ日本流になってきたと思います。
仕事のほうもがんばってくれていました。数年たつと剪定や工事もかなり上達していました。
時には車に乗って遠くの取引先に材料を取りに行ってくれたりもしました。最初はヒヤヒヤしましたが。
彼が特にすごいと思ったことは、看板に絵を描く仕事でした。
東広島市豊栄町にある神楽の看板が古くなり、塗り替えできる人を探しているという話を聞いたとき、ブレアならできるかも?って思いました。
本人に話してみると「大丈夫!!」と言ってくれました。完成したものを見ると、こんなに絵が上手いのかとびっくりしました。
彼がいなければできなかった仕事です。
お客さんからもよくかわいがっていただきました。
彼を指名してくれる人もいくつかいました。
また、彼に英語を教わったという人もいました。
病気になってからは、彼と頻繁にLINEでやり取りをしました。
大変そうでしたが、仕事に対する意欲は常に持っていました。
「またみんなと一緒に仕事をするために病気を克服する」と言ってくれました。
最後に会ったのは昨年末で、会社に立ち寄ってくれました。
かなりやせ細っており、とてもびっくりしました。
治療でオーストラリアに帰ってから、今度いつ会えるか考えたときいてもたってもいられず、彼にビデオレターを送りました。
社員全員のメッセージを編集して送ると彼は喜んで涙してくれました。
彼との最後のやり取りでは、珍しく日本語の長文でのLINEでした。
病気の事も知っており、残りの人生が少ないことも覚悟していました。
今、ブレアがいなくなってとてもさみしいですが、社員一同しっかり前を向いて進んでいきたいと思います。